真ん中のギャルになりたかった

ちょうどいいブスって、お前が言うな。

人生で初めて父に、彼氏がいることを告げました。

さっき、人生で初めて父に、彼氏がいることを告げた。ほんのつい、さっきの出来事。

 

午後7時、四谷三丁目のちょっと敷居の高い小洒落た居酒屋で、父と酒を飲む約束をした。相変わらず私は時間にルーズで「乗り遅れました。10分遅れます」そっけなくLINEを入れていた。店に着くとまだ父は到着しておらず、席について一息つく。「いま渋谷から銀座線に乗りました」可愛いスタンプとともに連絡がきていたことに今更気づく。父は、もっとルーズだった。

 

15分ほど遅れて、ようやく父が到着した。とっても嬉しそうだった。父はよく出張で東京に来ていて、2ヶ月か3ヶ月に一度、こうして母の苦手な海鮮をメインに娘の私と2人で酒を交わしている。今日は、上品な居酒屋メニューに日本酒のペアリングというお品書き。ずっと来てみたかったお店だった。

 

まず最初に運ばれてきたのは、お通しの山芋の煮っころがし。甘ったるくて香ばしい醤油味にピッタリな、爽やかなスパークリング日本酒。

「今日も会ってくれてありがとう。1年間お疲れ様でした」年末も実家に帰るというのに。父は、店に入ってきた時のままの笑顔で、忘年会のように乾杯の音頭を取った。「最近どう?」「...卒論が大変で、研究が進まなすぎてマジで毎日が不安。卒業できるかな」「そうなんだ!大変だね」「...そんな笑顔で言われる話じゃないんだけど」父は、終始重たい空気の私に構わずニコニコしながら相槌を打つ。「だって会えるだけで嬉しいから、笑顔になっちゃうんだよ」そんなもんなのか、父親って。

 

次に運ばれてきたのは、鯖のなめろう。合わせるのは、飲み心地がとてもいい優しい日本酒。さっきのスパークリング日本酒と違い、主張がまるでなく、なめろうとの相性が抜群だった。「飲みやすいね」当たり障りのないコメントをして、2人でひょんなことから昔話を始めた。

私の父は、母のことが大好きだ。自営業をしている父は、私が中学生の時まで、運動会を初め授業参観は欠かさず参加していた。そんな父親、周りに誰もいなかった。不審に思った小学生の私は、ある日母がこぼした小さな愚痴を聞き、合点がいったのだ。「もう!私は他のママ友と話したいのに。パパが参観日の時ずっとべったりだから鬱陶しいわ」あぁ、そうか。私の父は、母のことが大好きなんだ。確かに私の授業中にした発表なんて、聞いてるかどうか怪しかった。

 

そんなことを話していたら、次の料理がきた。白子のポン酢和え。さっぱりと、それでいて濃厚な味わい。口に含んでプチュンと甘みが広がった後にキュッと飲む、辛口の日本酒が最高だった。

私は、小中学生の頃、父がとても気持ち悪かった。正確にいうと父と母の関係が。ドラマや本や友達家族、私が得られる情報の中で、父親と母親がイチャイチャするという事実は一切なかったのだ。イチャイチャというものは、少女漫画の主人公になりうる20代以下の特権だと思っていた。だから、私の価値観の中で40歳の男女(当時)がラブラブするというのは、規格外だったのだ。どの教科書を読んでも、父親は父親、母親は母親だった。ひとりの男、女だという事実は誰も教えてはくれなかった。みんなと違う、気持ち悪い、ずっとずっと思っていた。

 

横でグツグツと煮立てられていた牡蠣の土鍋がいい匂いを放ち始める。もうそろそろいいですね、店員のお姉さんの掛け声とともに、小皿に美味しそうに取り分けられていくプリプリの牡蠣。「高校生の頃に毎年行ってた、牡蠣食べ放題の牡蠣とはまた違うね。濃厚だ」ハフハフと頬張りながら、一緒にやってきた少しツンとする日本酒を2人でクイっと傾けた。

高校生になって、私は両親にまた別のことを言いはじめた。「ママみたいに夫に愛される自信がないから、私は絶対に結婚しない」幼稚園児の頃から結婚に否定的だった娘が、ついにここにきて絶対と言いはじめた。父はめちゃくちゃ慌てたそうだ。私の知らない間に家族会議が行われ、深刻な問題として取り扱われた末に、夫婦間の接近禁止令を自ら出したのだと、6年越しに初めて聞かされた。全然気づかなかった。私からしたら普通にイチャイチャしていたと思う。そんな私の答えを聞き、父は苦笑しながら話を続けた。「だから、パパのせいで(私)の人生になんらかの影響を与えてしまったんじゃないかと今でも反省してるんだよ。」父は、中学生の頃から私がレズビアンじゃないかと心配していた。中学2年生の時、もしレズなら言って欲しい、受け入れるから、と力強く言われたのを今でも覚えている。当時の私は、なんだかそのセリフが有り難かった、正直、自分がどうなのか分からなかった。

 

〆のうどんを勧められ、もう一度土鍋を煮立たせる。すぐにグツグツと格段に香ばしい匂いが広がり「やっぱり〆が1番うまいよね」と、2人でズルズルとうどんを啜った。

「ずっと言うか迷ってたんだけど、パパが悲しむかもしれないし嬉しがるかもしれない、そんなことを今から言います」父は、少し驚いた顔をして、神妙な面持ちで頷いた。「私、彼氏がいるんだ」ちょうどその時、最後の日本酒が運ばれてきた。お洒落なワイングラスに入ったその日本酒を右手に、父は言った。「乾杯しよう」カチッと音がなる。そのままグラスを口元に近づけようとした私を、父は慌てて止めた。「あの...写真撮っても、いいかな?」お酒のせいか少し潤んだ目をして、嬉しそうに2人で乾杯したグラスを写真に撮っていた。やっと飲めた日本酒は、最も日本酒らしい味で、いままでで1番うまかった。「ホテルに帰って、1人で泣いたりする?」一人娘の私に、周囲の大人はいつもこう言ってきた。君に彼氏ができたら、お父さん泣いちゃうね、可哀想だ。「そんなわけない!本当に、嬉しい。本当に本当に、嬉しい。こんなに言うと逆に嘘っぽいかもしれないけど。でも本当に...」グラスをもう一度口元で傾けて、私を見た。「今日は、記念日だね」その目には、やっぱりうっすら涙が浮かんでいた。少し間をおいて、おどけた顔で笑う。「これは、根掘り葉掘り聞いてもいいやつですか...?」「ダメです」「やっぱり...ダメですか...」残念とでも言うように肩を落とす父を見ながら、グラスに残った少しの日本酒を飲み干した。

 

お会計をして、店を出た。東京の空気は、ここ2、3日でずっと寒くなっていた。コートのポケットに手を突っ込みながら、2人で近くのベローチェに向かった。父は珈琲、私は抹茶ラテを飲みながら、たわいもない会話をした。抹茶ラテは、抹茶粉の主張が激しくて失敗だった。

父は、私に彼氏ができたということに、喜んでくれたのではないのだと思う。相手が女性でもたぶん同じ反応をしてくれただろう。ただ純粋に、娘が歳を重ねるにつれて、色んなことを考えて考え直して、とある一つの幸せの中で生きている、そういうことを知れたのがたぶん嬉しかったんじゃないのだろうか。真相は分からないけれど。本当は、今頃ホテルで泣いてるかも知れないけれど。でも私は、そう思っておくことにしようと思う。

 

余談になるが、私の父は、地方で洋服屋を営んでいる。売上不振のため、メンズ服の取り扱いを今年で取りやめるそうだ。帰り際、駅のホームで私に言った。「彼の身長とウエストサイズ、後でLINEで送ってください」もう父の頭の中では、彼にぴったりのコーディネートが出来ているようだった。男の子にもお洒落の楽しさをたくさん知ってほしい、女性モノしか取り扱っていなかったのに父の想いから始めたメンズ服。最後の仕事と言わんばかりに、なんだかとっても張り切っていた。

 

さっき、人生で初めて父に、彼氏がいることを告げました。たぶん来週には、ダンボールいっぱいに彼の冬服が届く。彼が負担に感じたりしないだろうか、丸ノ内線に乗りながら、ふとそんな思いがよぎる。

 

「相手がどんな人か知らないのに、そんなに嬉しいの?」

「だって(私)が選んだ人なんでしょう?それはもう、絶対にいいヤツだよ」

 

彼にLINEする。「ゾゾスーツの測定結果、送ってください!」

たぶん彼は、絶対いいヤツ。